コイスルオトメ

髙木雄也くんに想いを馳せる20overなオタク

留学

 
 
 
わたしは大学2年の9月から2月までアメリカのボストンで生活をしていました。
 
 
学科のカリキュラムの1つなので、周りはみんな日本人。大学の友達と寮生活の5ヶ月間。
 
 
合格した時点で行くことは決まっていました。私が今の大学、学科を選んだ以上行かなければ卒業出来ない。必然的に日本を離れることになっていました。
 
 
 
大好きな音楽から離れなければならない。
 
 
 
これは、私にとって、とても大きなことでした。応援している人たちの姿を簡単には見られない。頑張る理由の大部分を占めていた、ライブやコンサートに行けない。
 
 
とにかく不安でした。耐えられるのか。出来る出来ないではなく、耐えなければならないことは分かっていた。しかし、大きな試練でした。
 
 
 
留学前、応援している人たちがいました。いきものがかりKis-My-Ft2。キスマイでは玉森裕太くん担当です。
 
 
いきものがかりについては記事にしてあるので、気が向いたら読んでみてください笑 → 音楽 - コイスルオトメ
 
 
留学前に、できるだけ現場に行こうと決めました。なるべく彼らに会いに行って、頑張る勇気を吸収してからアメリカに行きたかった。
 
 
いきものがかりは、2015年のツアーが留学前に終わるため、5公演行きました。
 
 
Kis-My-Ft2は、Kis-My-WORLDツアー京セラドームの2公演行きました。それに加えて、玉森裕太くん主演舞台であるDREAM BOYSを2公演観劇しました。
 
 
そして6月27日の音楽の日の番組協力に参加することが出来ました。いきものがかりKis-My-Ft2に同時に会えるなかなかない機会を経験できました。裕太くんくんには声をかけることもできました(笑)(チラッとこっちを見てくれただけだけどね(笑)みっくんこっちみてくそ笑ってた(笑))
 
 
大好きな人たちにたくさん会うことが出来た。彼らの頑張る姿や、最高のパフォーマンスを生で感じることが出来た。私はこれで一度区切りをつけて、アメリカで勉強を頑張ろうと決意しました。
 
 
 
アメリカでの生活が始まった9月。時差ボケのため寝まくっていました。日本とボストンの時差は13時間。(11月からは14時間)でもキスマイのレギュラー番組や大好きなドラマは見たい。ネットに上がってからしか見れないけれど、最初は順調に追えていました。
 
 
ここから少しずつ試練が待ち構えていました。
 
 
まずKis-My-Ft2のツアー。東京公演4日間と、名古屋追加公演の決定で2日間。大量のレポが流れる中、会いたい気持ちは大きくなるばかり。日本にいれば行けないことは無かったはずなのに、私はアメリカにいる。この現実が私の気持ちを少しずつ変えていきました。
 
 
次に玉森くんの主演映画の公開が控えていました。レインツリーの国。裕太くんの初主演映画。前売り券は購入していました。もちろん見には行けません。(前売り券は母にプレゼントしました)
 
 
ここで、自担の主演映画を見に行けないということの辛さを痛感しました。大好きな人の頑張る姿を見に行けないこと。正直、本当にしんどかった(笑)
 
 
舞台挨拶もたくさん行われました。FCから案内メールが届くこと、沢山のレポが出回ること。行きたい、会いたいという気持ちが溢れました。なんで行けないんだろう。なんでわたしはアメリカにいるんだろう。こんな風に思ってしまうこともありました。
 
 
今思うと、執着し過ぎたのかもしれません。玉森担は沢山居るから、遅れないように。こんな風に考えてしまっていました。
 
 
そして、こんなにも辛い気持ちになるほど応援する意味ってなんだろう。視界に入れることなんてほぼないし、気付かれることもない。玉森担は沢山いるから、わたしが玉森担を辞めても彼には影響ないよね。
 
 
そんなことを考えてしまう自分が本当に嫌になりました。大好きだから応援したい。彼の姿を見たい。こんな真っ直ぐな気持ちだけで追いかけていたときが一番楽しかったのに…
 
 
自分を責めるようになってから、裕太くんを見ることが辛くなってしまいました。大好きなのに、見るのが怖くなってしまった。この時期からは、キスブサもドラマも必死で追うことはなくなりました。自然とKis-My-Ft2から離れてしまって、曲も聴くことが減ってしまいました。
 
 
 
このような辛いときにわたしに力を与えてくれていたのがHey!Say!JUMPでした。特に髙木雄也くん。わたしが今いちばん大好きなひとです。
 
 
相方がジャンプにはまってから、YouTubeで過去の動画を漁っていました。一緒にコンサートいこうねって誘ってくれていたので、少しでも知りたいなと、最初はその程度。曲も聴くようになり薮くんと山田くん、雄也くんの歌声がいいなぁと思っていました。
 
 
いただきハイジャンプや、24時間TVも見て、髙木雄也くんに惹かれている自分に気付きました。そしてボストン留学中に同じwingのお友達にsmartのDVDを見せてもらい、完全に雄也くんに惚れていきました。
 
 
 
最初は、この気持ちの変化に気付かないフリをしていました。わたしには裕太くんがいる。一途に裕太くんを応援していればいい。こんな風に思っていました。しかし、どんどん雄也くんのことを考える時間が増えていき、この気持ちの変化を認めない訳にはいかなくなりました。
 
 
 
すると、この気持ちの変化を認めることによって、気がかりになることが出てきました。キスマイが好きということから仲良くなったお友達のことです。まだ会ったこともないけれど、繋がって、いろいろな話をして仲良くなることが出来たお友達が、わたしが裕太くんから離れることで、離れてしまうかもしれない。オタ友という枠を超えるくらい仲が良いひとにも出会えたのに、キスマイの話が出来ないなら意味がないと思っているかもしれない。いろいろな事を考えてしまいました。
 
 
また、私と同じ時期に留学をしていたお友達もいます。その子は私より5ヶ月長い、10ヶ月の留学を経験しています。一緒にキスマイを応援してきた仲間であり、留学中も自担に会いたい気持ちを共有し、支え合っていた大切なお友達です。その子の方が私より倍も日本にいなくて自担にも会えて居なかったのに、私は5ヶ月でこんなに変わってしまった。私は私だけどなんだか後ろめたい気持ちになってしまう時もありました。
 
 
こんなとき、本分の留学の方では帰りたい気持ちが増えていきました。私は3人部屋でしたが、あることがきっかけで1人対2人という形で拗れてしまったからです。3人の生活リズムが一致するなんてことは、最初から無理がありました。お互いに不満も募る時期だったし、ストレスも溜まっていました。その時期は留学生活の悩みに加えて、趣味の悩みもあったので精神的にキツかったです。
 
 
でもじゃんぷの番組をYouTubeで見ているときだけは本当に幸せな気持ちで満たされていました。雄也くんの魅力をたくさん知っていき、大好きが増えていきました。
 
 
このときから、いつかは玉森担を降りるのかなと考えることが増えていきました。裕太くんのことは大好きだけど、私にはついていけなかった。また、私は性格的にも同時に2人のひとを応援することは向いていません。ひとりに絞る方が私らしいことは、私がいちばんわかっていました。こんな中途半端な気持ちで裕太くんを好きだと言っていいのか、わかりませんでした。
 
 
2月、無事に帰国しました。留学中にバイトは出来なかったので、バイトを再開し、すぐにじゃんぷのFCに入りました。これが私の行動で、この行動はじゃんぷを応援したいという気持ちの表れでした。
 
 
 
それからオタ垢のアカウントを掛け持ちという形で始動させるため、新しいものに変更しました。今私のオタ垢を見てくれているキスマイ担のお友達は、私の掛け持ちへの変化を見て、受け入れてくれた人たちだけです。受け入れてくれて、どんな私でも仲良くしたいと言ってくれたことが嬉しかった。本当に感謝しています。
 
 
 
今、私は悩んでいます。「担降り」この言葉の意味を考えています。
 
 
 
実際、「玉森担を降りたと思ってたよ」「もうじゃんぷだと思ってた」そんな風に言われたこともあります。(心当たりある方ごめんなさい) この類の言葉を言われる度に、やっぱり私の言葉でハッキリさせなければいけないと考えさせられていました。
 
 
 
実は、私はまだ雄也くんに会ったことがありません。今繋がってるじゃんぷ担の方も、こんなド新規嫌だという方もいると思います。無理なら遠慮なく言ってください。ブロックしていただいて構わないです。寂しいけれど、これが私なんです。本当は去年行きたかったけれどいけなかったから、今年が初めて雄也に会えるチャンス。楽しみで仕方がないです。早く会いたい、早く生で雄也に会いたい。雄也が大好きでたまりません。
 
 
 
そして、帰国してからまだ一度も裕太くんにも会えていません。会って本当の自分の気持ちを確かめたいです。だから、もう少し時間が必要です。8月4日の東京ドームで、約1年振りに裕太くんに会えるのが楽しみです。
 
 
 
最後まで読んでくれてありがとう。これが留学中の私の気持ちの変化と、今の私の正直な気持ちです。思うことがいろいろあるかと思いますが、受け入れてもらえたら嬉しいです。でも、無理はしないでください。私は楽しく応援したいから。あなたにも楽しく大好きな人を応援して欲しいです。
 
 
改めてありがとうございました。
 
 
 
ちひろ